だんだんの木

文:窪田 僚  イラスト:木村 太亮

娘のユカはヘンなところがぼくに似てしまったのか、ちょっと損な性格だ。おねだりしたいものがあってもストレーに言えずグッと呑みこんで密かに悟ってもらいたいタイプ。そんなユカが珍しく、
「あれ……欲しい」
つないでいる小さな手を揺らすようにして、ぼくを見上げた。(あァ、好きなアニメ・キャラでも見つけたのか) ぼくはユカの手をひいて、おまつりで賑わう境内の雑踏をすり抜け、いそいそとお面の売店に近づいた。でも、ユカが欲しがったのは、お面じゃなかった。その脇にべたりと座りこんでいた老人(まるで老人のお面をかぶったみたいな)が抱えていた妙な鉢植……。それはどうも、売り物なんかじゃなさそうだった。
「パパ、すごいよ。ここから〝だんだん〟が生えてきて、二階ができるかもね」 ユカはアイドルのヒット曲を口ずさみながら、奇怪なカタチの木をウキウキと狭い庭に植えている。 砂遊びのショベルを、器用に使って。 「ああ、そうだな」
ばくはユカを手伝いながら、あいまいに頷いた。
「なんなの〝だんだんの木″って。なんだかヘンテコなものを貰ってきたわね」 妻の美穂が小首をかしげた。美穂に叱られるのがイヤで貰ったことにしたけれど、実は大枚をはたいて譲り受けたのだった。ユカが珍しくおねだりしたんだから、しようがないさ。
「お嬢ちゃんは、お目が高いなあ。この木の面白さが、わかるのかい」 あのとき、老人は皺の中に埋もれた日をしぼたたかせ、
「これは世にも珍しい〝だんだんの木〟と言ってな。人間の夢を栄養にして、立派な階段になるんだよ」
目を輝かせているユカに、そう話しかけた。なんだか、ヨタ話が得意な、死んだ祖父(父方の)みたいだった。祖父が亡くなったのは、ちょうどぼくがユカくらいのころだ。二十センチほどの丈の木は、細い幹が階段状にゴキゴキと折れ曲がっている。ユカは、それが成長して、立派な〝だんだん″になることを夢見ているようだ。ヘンなところがぼくに似たのか、夢見がちだった。ウチは平屋で階段ってものがない。あるのは、雛壇の階段くらいか。だから、ユカはずっと階段に憧れているんだろう。何週間か経ったけれど〝だんだんの木〟は、ちっとも成長する気配がなかった。ユカが毎日、水をやったり撫でたりの世話しているにもかかわらず。そどころか、なんだか枯れはじめているようにもみえた。
「パパ〝だんだん〟はすごいんだよ」
せまいベッドで添い寝しているとき、ユカが耳許でささやいた。
「ね、ちょっと、見て見て」
居間の美穂に気づかれないように、毛布のなかでユカが子猫みたいに体をよじり、こっそり細めにカーテンを開けた。
「…………」

窓越しの〝だんだんの木″は、暗闇のなかで、かすかにボーッと発光しているようにみえる。
「ね、光ってるでしょ?」
「……いや、カーテンから光が洩れて、反射してるだけだろ」
そう言ってみたものの、なんだかざわざわ胸騒ぎがした。(蛍光塗料でも塗ってあったのか?あのジイさん、凝ったことするなあ) 美穂には内緒にしておこうと思った。気味が悪いからと捨てられたりしちゃ、ユカがかわいそうだ。ユカもそれを恐れて、ぼくだけにこっそり教えたのかもしれない。
「ユカ、いつまで、こそこそ話してるの?はやく、寝なきゃダメよ」
ふすま越しに、美穂の尖った声がした。その夜、イヤな夢を見た。〝だんだんの木″が急にぐんぐん伸びはじめて、となりのウチの屋根をまたぎ、くねくねと蠕動しながら商店街のビルのてっぺんを越えてゆくのだ。左に折れ右に曲がり、ある地点では螺旋階段になり、ありとあらゆるデザインのバリエーションをなぞって、何万段もの階段がドミノ倒しみたいに増殖しつつ、雲のかなたまでパースペクティヴに霞んでいる。
「〝ジャックと豆の木〟みたいだなあ」
ぼくは呆然と見上げながら、となりに立っているはずのユカに話しかけた。
「パパ、はやく。こっち、こっち」
頭上から、声が返ってくる。ユカはいつのまにか、ビルの屋上すれすれの階段を跳ねるように昇っていた。
「………」
美穂は言葉を失い、ばくの腕にしがみついて小刻みに震えている。
「降りといで、あぶないぞ」 ぼくはいそいで階段を駆け上がった。足がもつれるみたいで気持ちばかり焦り、うまく進めない。遙か彼方を昇っているユカが、みるみる小さく遠ざかり、雲の向こうに霞んでゆく。と、階段が下の方から溶け るように消えはじめ、ぼくは足場を失って地上に落下しはじめた。
膝がガクンとなって、目が醒める。全身に冷や汗が吹き出していた。ユカの懸命なお世話にもかかわらず、〝だんだんの木〟は大風が吹いた翌朝、根元のあたりから無残に折れてしまった。
「タイヘンだったのよ。ユカったら、すっかりしょげちゃって、幼稚園にも行 きたがらないの」
美穂は深夜番組をぼんやり見つめ、
「あなたが、あんなヘンな木、もらってくるからよ」

「…………。ま、これを機会にウチをリフォームするか。〝だんだん〟付きの二階建てにして、さ」
「お気楽なこと、言って。ここのローンだって、かなり苦しいのに。今度〝豪邸の木″でも、もらってきてくれる?」
ちょっと疲れ気味の笑顔で、美穂は欠伸をかみ殺した。しばらくの問、しよんぼりしていたユカだったけれど、さすがにコドモ だけあって、元気を回復してきた。
「また、買ってあげるよ、〝だんだんの木″。今度は、もっと丈夫なやつを」
狭いバスルームで、ユカの頭にシャンプーハットをかぶせながら、ぼくは調子のいいことを口走った。
「いいの、もう。だって……」
ユカは急に声をひそめ、
「これ、ママに内緒だよ」 「え?」
「この前、〝だんだんジイちゃんに会ったの。幼稚園の帰りに」
「へえー……〝だんだんジイちゃん″?」
あの胡散臭い、〝老人のお面″みたいな顔がぼんやり思い浮かんだ。
「で、ユカ、文句つけてやったか?」
「ううん」
シャンプーハットごと、首を横に振った。
「何か、話した?」
「うん。でも、それは、ひみつ」

くすぐったそうに、くすくす笑っている。(まったく、懲りないジイさんだよ。いたいけなコドモを、たぶらかしてさ)「さ、ユカこそ、お湯をどんどん吸って大きく育てよ」
ユカの頭にシャワーをかけた。
地震で明け方に目覚める日が、何日か続いた。
「イヤねえ、大地震の前ぶれみたい」
その度に、地震嫌いの美穂が目をしょぼつかせ、居間のテレビをオン にするんだけれど、地震速報のテロップが出たことはなく、新聞にも地 震の記事は載らなかった。ユカの部屋をそっと覗くと、揺れに気づかないのか、呑気に寝息を立 てている。
「たぶん、どっかの道路工事か建設工事だろ。このへんは地盤が悪いから、振動が伝わりやすいのさ」 ぼくは、一応、そう説明した。
ある午後、遅いランチを終えて会社に戻る途中、ケータイの着メロが 鳴った。妻の美穂からだった。
「ユカの姿が見えないのよ」
平静を装っていたけれど、声がすこしこわばっている。美穂が買い物から戻ってみると、家のどこにもユカの姿が見えないというのだ。そんなことは、初めてだった。
「ともだちの家は?電話してみたか?」
「一応、心当たりのあるところは……」
語尾が不安そうにふるえている。(公園にでも遊びに行ってるのか?) 様子をみて、また電話をしてもらうことにした。 社内でも落ち着かなかった。 近県で頻発しているらしい幼女誘拐未遂事件の噂が、頭のなかで渦 巻く。〝だんだんジイちゃん〃の姿も、意識の片隅でチカチカした。(あのジイさんと、また出合って……、言葉巧みに誘い出されたんじゃないだろうな)〝だんだんの木″の値段交渉のとき、
「じゃあ、ま、これくらいなら……」
と、一本突き出した萎びた指が、まざまざとよみがえってくる。
早めにウチに戻ると、美穂はソファで膝を抱え、腫れぼったい目でぼくを見た。
「110番、した方がいい?」
「…………。もう一度、近所を見回ってからにしよう」
きっと、ユカはどっかで道に迷っているんだ。はやく、見つけてあげなきゃ。
「わたし、行ってくる。あなた、ウチで待ってて。何か、連絡があるかも しれないし。ユカが帰ってきたら、電話して」
美穂は自分のケータイを手に、そそくさと外に飛び出した。胸苦しい思いにかられて、ウチのなかをうろうろする。 いつか見た夢の映像が、意識のスクリーンに映し出された。〝だんだん の木″が急にぐんぐん伸びはじめて……、遙か彼方を昇っていくユカが、 みるみる小さく遠ざかり、雲の向こうに霞んでゆく・・・頭を振って、そのイリュージョン振り払おうと努めた。

気持ちを鎮めようと煙草に火を点けたとき、視界の隅になにかが ボーッと灯っている気配がした。目を細め焦点を合わせると、薄暗いユカの部屋にだれかが立っていて、その全身がかすかに発光している。ユカだった。 「パパ……」
鬼ごっこで見つかったときみたいに、照れた笑顔で近づいてくる。
「ど、どこに行ってたんだ?パパもママも、ずっと心配してたんだよ」
膝からヘナヘナと力が抜ける。ホッとしてユカの頭をなでると、発光 しているホコリ状のものが、はらはらとあたりに飛散した。
「ちょっと、遊んでたの。秘密の遊び場」
ユカが、ベッドの下を指差す。
「そこが部屋になってるの。見てみて」
「…………」
降りきった前方、薄明かりのなかに広々した空間がひろがっている。20畳くらいは、ありそうだ。
「ここで、ずっと遊んでたの。椅子もテーブルもベッドもあるよ」
「ああ……。ユカの夢を、たっぷり栄養にしたんだな……」
淡く灯った苔の絨毯がところどころ盛り上がり、椅子やテーブルやベッドのかたちにみえる。

「こりや、いいや」。
ぼくは、ソファ状のふくらみに寝そべった。深呼吸すると、少年時代に遊びまわった森のにおいがする。祖父の田舎の森。日々のストレスが、みるみる失せてゆくのがわかる。
「おい、ユカが見つかったよ」  
ぼくは寝そべったまま、美穂のケ一夕イに電話をした。
「……良かったあ。もォ、どこにいたの?」
「それは、ひみつ」
「…………」
「あのさ、とりあえずきょうはスイートルームで〝だんだんパーティー″だ。角のスーパーで、ごちそうとワインを、ね」

「ママ、アイスも、ね。はやく、帰ってきて」
横からユカが、はしゃぎ声を上げている。(美穂にも、はやく見せたいよ。ビックリするだろうなあ)
広間を取り囲む壁面には階段状のへこみができつつあるみたいで、これからも〝だんだかは四方八方に伸びていきそうな気配だった…‥・